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失敗だらけの保育園とのお付き合い(4) [失敗だらけの保育園とのお付き合い]

そして、ももは第1希望の保育園に入園することになりました。
激戦で、人気の保育園。
北向きのとても狭い園庭、薄暗い園舎で、子供たちが鼻をたらして、裸足で駆けまわっていた保育園です。

入園する保育園から、「面接します」と電話がかかってきました。
私は、受験や他の試験のように、面接後入園が決まるのかと思っていたのですが、保育園入園の場合は入園が決まっての面接でした。
面接に行ってから、はじめて知りました。

入園する保育園は、見学に行ったときに書類を市役所だけではなく、保育園にも提出するようにいわれていました。
そして、認可保育園に入園できない場合は、無認可の保育園を検討していることを伝えていました。
そのとき、
「そんなところへ預けるのはおよしなさい」
といわれていました。
保育園が子供の抱き方もよくわかっていない夫婦の子育てに不安を感じて配慮してくれたのかもしれない・・・
と、思いましたが、優先順位が高かったのか、わかりません。
(でも、入園後、私立保育園は多少はそういう配慮があるのかも・・・と、他の父兄も感じてます。)

役所でいわれた待機児童が多いのは、本当だったのかとも思いました。
ももが入園後も、0歳児に数人が入園してきました。
求職中とか、優先順位の低い人が厳しいということだったのかもしれません。
私は、市役所でわれた「入園は厳しい」を、そのまま「入園できない」ととってしまいました。

役所の立場にすると、

「どこどこの保育園、空きがありますか」

とたずねられると

「待機児童が多く、厳しい」

と、答えると思います。

なので、以下のような情報を伝えて、どのように厳しいのかを教えてもらうのがいいと思います。役所には、何人もの人が足を運んでいるでしょうから、こちらがほしい情報をききだせるようにするといいと思います。

・ どこにすんでいて
・ どういう事情で(正社員、パート、介護・・・優先順位にかかわる情報)
・ いつから
・ 子供の年齢、発育状況

ならし保育期間は、復帰前1ヶ月で、10日後から開始と、まだ、職場復帰すると思っていなかった私の気持ちとはうらはらに、復帰することになりました。
保育園入園が激戦といわれているので、このチャンスを逃すと保育園に入園するのが難しいと思ったので、ここで入園しなければと思いました。

失敗だらけの保育園とのお付き合い(5)につづく

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失敗だらけの保育園とのお付き合い(5) [失敗だらけの保育園とのお付き合い]

入園が決まってからの、10日間は、保育園で使用するものの準備に終われました。

 ・ 布オムツ、オムツカバー 
 ・ 着替え
 ・ お昼ね布団 
 ・ タオル ガーゼ
 ・ お食事用エプロン
       ・・・etc

<布オムツ、オムツカバー>

布オムツは、新生児のときから使用していました。
でも、家で使用していたのは、成型オムツに、ポリエステルの入ったオムツカバー。
保育園指定は、昔ながらのサラシのオムツに、綿のオムツカバー。
しかも、サラシのオムツは1回のオムツかえで、2枚。

保育園にいる間に、1時間に1回かえたとして
 10回 × 2枚 = 20枚。
洗濯を考慮して
 20枚 × 2セット = 40枚

※入園後、これでは足りなくて、トータルで60枚以上は用意しました。

綿のオムツカバーは、1度、おしっこをすると濡れてしまうことが多く、ほぼ毎回交換しなくてはなりません。
オムツカバーもかなりの数を用意しました。

<着替え>

上はTシャツ、下はズボンと、上下に分かれているものが保育園の指定でした。
それまでは、赤ちゃんでよくあるツナギの洋服を着せていました。
おなかがでないからツナギがよかったのですが、上下に分かれていると、おなかがでそうで不満に感じました。
保育士が着替えさせやすいからだと思います。
そして、よだれかけはつけないように、面接のときにつけていたので、注意されていました。
赤ちゃんが、ハイハイでヨダレかけを踏みつけると危ないからだと思います。
もも は、よくヨダレのでる赤ちゃんでしたから、濡れたら着替えさせてもらうことになります。

1日に10枚用意してくださいといわれましたが、まったく足りませんでした。
それ以上、着替えさせてくれました。
Tシャツはヨダレ、ズボンはオムツ替えのときに濡れていることがあります。

そして、困ったのは、長袖を売っている季節に、半袖のTシャツを売っていなかったことです。
お店の人に頼んで、奥から出してもらったり、友達の子供のお古を借りたり、長袖を混ぜたりして、そろえました。
もちろん、サイズは、大きめを用意しました。
 サイズ60 のときに、 サイズ 80~90 を 買ったので、すごく大きいものを買ったような気がしました。
・・・すぐに小さくなりました。
でも、90の長ズボンは長く履けました。
オムツが取れると、おしりのサイズが小さくなるので、大きくなってもスパッツのような感じで、しばらくは履くことができます。

<布団、布団カバー>

お昼寝用の布団を購入し、布団カバーは2セット用意しました。
おねしょで替えることがあり、予備を保育園のロッカーに常備していました。
(1歳半までは、2回以上寝ていたので、替えが必要でした)

これらのものを、すべて用意すると、安いものを探してもかなりの金額がかかりました。
もっとも、10日間で用意するのに、週末は1度しかなく、まとめて購入したので、値段比べする余裕はありませんでした。

そして、名前をつけました。
テプラテープで作成し、アイロンでつけました。

・・・それよりも、保育園に預けたくない気持ちでいっぱいでした。

失敗だらけの保育園とのお付き合い(6)につづく

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失敗だらけの保育園とのお付き合い(3) [失敗だらけの保育園とのお付き合い]

保育園を見学した結果、私の印象がよかったのは、第2希望の保育園でした。
南向きの園庭、清潔そうな園舎で、明るい雰囲気でした。
幼児になったら、転園するか、幼稚園にするかを考えればいいと思いました。

私が幼稚園育ちなので、幼稚園に行かせたいと思う気持ちもありました。
保育園の子供は鼻をたらして、裸足で駆けまわる野生児のようなイメージがありました。
ももは女の子なので、かわいい洋服を着せて、ゆったりと育てたいと思っていました。

そして、第1希望に挙げた保育園は、北向きのとても狭い園庭、薄暗い園舎で、子供たちは鼻をたらして、裸足で駆けまわっていました。
でも、しっかりとした方針があるように感じられました。
 
・ 自然の素材 (木のおもちゃ、木の椅子、陶器の食器、木のおわん・・・etc プラスチックは不可)
・ 産直の食材
・ 文字など、いわゆるお勉強はなし
・ 布オムツ

また、私は抱っこ紐で、ももを前向き (ももの背中と私のおなかがくっつくよう) に抱いていたのですが、注意されました。

「向かいあうように抱っこしたら、赤ちゃんがおかあさんに抱きついてくるでしょ。
前向きに抱っこしたら、赤ちゃんの肩が前にいって、不自然な体勢になるでしょ。」

私は、抱っこ紐に書かれていた、
「前向き抱っこは、赤ちゃんが前を見れてよろこぶ」
というのを、そのまま疑っていませんでした。

ほかにも、いくつか駄目だしをされました。

この保育園に対する私の印象は、細々とうるさそう、園舎がくらい、子供は野生児・・・。
ここには預けたくないなでした。


無認可保育園も見学に行きました。
無認可保育園の料金は、高いときいていたのですが、認可保育園より格安でした。
別料金で、送迎、英語教育、音楽教育などもありました。

場所は、ビルの1室で、部屋を腰までのパーティションで仕切っていました。
お迎えを待つ子供たちは、アンパンマンのビデオをみていました。
おもちゃはカラフルなプラスチック製で、室内も明るく、かわいらしくしてあります。
ベビーカーで登園し、置いて仕事に行き、帰りに乗せて帰ることもできます。
給食は、外注ですが、アレルギーにも対応してくれる。
小学生になっても、下校後、預かってくれるそうです。
園長の応対も丁寧で、サービス産業のようでした。

私は、保育園で習い事ができるのは、いいなと思いました。
でも、ビデオを見せているのに、よい印象を持ちませんでした。

失敗だらけの保育園とのお付き合い(4)へつづく

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失敗だらけの保育園とのお付き合い(2) [失敗だらけの保育園とのお付き合い]

6ヶ月から預けることになったのは、私の作戦失敗でした。
産前に役所に、保育園のことを相談に行きました。
すると、
「激戦区なので、0歳児は年度内は難しい。無認可保育園も考えておくように」
といわれました。

そういわれたので、待機児童になると思ったのです。
なので、年度内いっぱい育児休暇を延長し、待機児童で待機したら、来年度の入園で優先順位があがり、入園できだろうと考えました。
会社も保育園の入園可否で、育児休暇の期間を決めてよいとのことでした。

来年度の入園を狙っていたので、第1希望の保育園は、定員いっぱいで、0歳~6歳までの保育を行っている、もっとも激戦の保育園を希望しました。
第2~3希望は、乳児だけの保育園を記入しました。
私の家から、無理せず送り迎えのできる保育園は、3園だけでしたので、それ以上の希望は記入しませんでした。
私は、ペーパードライバーですので、徒歩または自転車でいける範囲の保育園を選びました。

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失敗だらけの保育園とのお付き合い(1) [失敗だらけの保育園とのお付き合い]

うさぎ苺はももを、6ヶ月から保育園にあずけ、職場復帰しました。
仕事大好きで、自分がプロジェクトマネージャーとして設計した建物を建てたいと思っていました。
出産前は、復帰してもバリバリと働くつもりでした。

でも、そうは思い通りになりませんでした。
私の場合、結婚では仕事も生活もそれほど変わらなかったのに、赤ちゃんが生まれたら、すごく変わっていました。
私の希望で変わったのではなく、変わってしまったという感じでしょうか。
私が頑張って、努力をしても、どうしようもないことがたくさんでできました。
ママになった私は、ママになる前とは違うということが、すんなり受けいられませんでした。

でも、今は出産は人口を1人増やす大仕事ですから、変わると思います。

仕事復帰する前にも、いろいろな戸惑いはありました。

例えば、外出時の所要時間。

私、一人なら、30分でも、赤ちゃんとの外出だと

 ・ 外出の用意(オムツ、着替え など)
 ・ 外出前のおむつ交換
 ・ 自転車ではなく徒歩
 ・ 階段をさけ、遠回りして、スロープやエレベーターを使う

・・・と、いつもよりも時間がかかってしまいます。
初めの頃は、目的の場所に行く所要時間すらも、上手く読めませんでした。

電車でも座席を譲ってもらったことなどなかったのに、譲って頂いたり・・・。
私は、赤ちゃんのお出かけの用意の入ったバッグを持ち、赤ちゃんを抱っこしながら、
「譲られるって変な気持ち」
と、思っていました。

入院中、看護を必要となった状況がすんなりと受け入れることができなかったように、赤ちゃんのママとなったことがわかっていても、体の感覚にまでなっていないような感じでした。

この戸惑いは仕事復帰後、とても大きなものとなりました。

仕事復帰については、悩みました。

 ・ とってもかわいい、かわいい もも を、他人に任せたくない気持ち
 ・ 大好きな仕事を離れている不安
 ・ 出産時のトラブルからくる健康に対する不安 (妊婦の救急搬送の経験(1)参照) 
 
1年間、育児休暇を取ろうと思ってたのですが、保育園が激戦区なので、なんとしても保育園に預けなければと思って、6ヶ月から保育園にあずけることになりました。

失敗だらけの保育園とのお付き合い(2)につづく

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妊婦の救急搬送の経験(19) [妊婦の救急搬送の経験]


出産でトラブルがあったものの、私も もも も 無事に退院できたのですが、
私はトラブルがあったことを悔いるようになりました。
悔いても、やり直すことはできないのですが、なぜか、「普通に産みたかった」と思うようになりました。
私には出産前後の記憶がありません。
とっても、その記憶がほしくて、ほしくてたまらなくなりました。

大学病院に入院中は、ももに会いたくて、会いたくて、それだけでした。
そして、クリニックで、ももに会えたときは幸せでした。
なのに、退院して、ももが生後1ヶ月になり、生活が落ち着いてくると、トラブルのあった出産を振り返ってしまうのです。
生まれたての、ももに会いたかったなと思うのです。
この気持ちは、今でもあります。

3歳になった ももに、生まれてきたときのことを、きいてみたことがあります。

「生まれた時のこと覚えてる?」

すると、ずっと我慢していたのを吐き出すように、ワンワン泣きだしました。
 
「さみしかった」

といいました。いつもと違う泣き方で、目から涙をあふれさせてなくので、驚きました。
隣室にいた主人が、ももの泣き方がいつもと違うので、とんできたほどです。
私だけでなく、もも も、寂しかった。
それを、覚えているとは思いませんでした。
とても、不思議なできごとでした。

-------------------

他の人からみたら、無事に生まれたんだから、いいじゃないと思うかもしれないのですが、当事者にとってはそうではないのです。
出産、育児についての心配事は、つまらないことでも、心配しだすと結果がでるまでとまりません。
その間、イライラしたり、落ち込んだり。
妊娠・出産で、ホルモンのバランスが崩れてしまうからかも、未経験のママとしての生活への戸惑いかもしれません。

新米ママだった私は、まわりの

「だいじょうぶよ」

を、頭ではわかっていても、信じられませんでした。
そういう気持ち、わかってほしいなと思います。

こうして、私とももの育児ははじまりました。
失敗だらけで、思いつめてしまたり、自分を責めることもあります。

そんな、ママでも、ももはママが大好きです。
子育てって、ももの笑顔がみれると楽しいです。

他にも私のようなママもいるのかな・・・。

・・・いっぱいの失敗は、また。
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妊婦の救急搬送の経験(18) [妊婦の救急搬送の経験]

贅沢なクリニックでの入院生活はあっという間にすぎました。
自分の食事、3時間おきの授乳と搾乳、沐浴、たいくつする暇もなかったです。
それでも、ゆったりとした気持ちですごすことができました。
携帯電話を使用することができたので友達に、出産の報告もできました。
退院前には、アロママッサージもしてもらいました。

食事は、見た目も美しく、おいしかったです。

大学病院の食事は、「たくさんの量を作った味」、小学校の給食のような味でした。
大学病院では、多数の入院患者がいます。
それぞれの患者に配慮した食事が届けられる、あたりまえだけど、大変な仕事です。
大学病院でも、暖かいものは暖かく、配膳されました。
これは、私が入院する少し前に改善されたんだそうです。

ももの斜頚も、自分の目で確認しました。
同じ方向ばっかり向いていました。
看護師さんが、
「同じほうばっかりみていると、頭の形がおかしくなるからね」
と、タオルで反対の向きに向くように工夫して寝かせてくれました。

実際は、すぐに同じ方向を向いててまうのですが、1ヶ月様子をみるだけでなくて、こういう配慮はうれしかったです。

そして、私とももは退院することができました。
とってもうれしかったです。

ところが、これで、「めでたし、めでたし」では、なかったのです。
この退院がスタートでした。

・・・つづく

妊婦の救急搬送の経験(19)へつづく
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妊婦の救急搬送の経験(17) [妊婦の救急搬送の経験]

転院し、ももと一緒の入院生活がはじまりました。

クリニックの医師は、大学病院の医師に何度も電話をして、私の病状を尋ねてくれていました。
そして、看護師さんたちは毎日のように、ももの写真にちょっとしたメッセージを添えて、主人や母にことづけてくれていました。
そして、私が退院したときには、あたたかく迎えてくださって、本当にうれしかったです。

私は大学病院では、赤ちゃんのケアのことは教えてもらっていなかったので、1からのスタートでした。
授乳室で、他のママたちと一緒に授乳しました。
生まれたての新生児と比べると、ももはずいぶん成長している感じがしました。
生まれたてのグニャグニャした感じではなくて、ちょっとしっかりしていました。

はじめての授乳、とっても緊張しました。
ももはゴクゴクとうれしそうにおっぱいを・・・哺乳瓶からのみました。
おっぱいから、直接、飲めなかったので、搾乳したものを与えました。
生まれてから、ずっと哺乳瓶でミルクをもらっていたので、おっぱいからは上手に吸えませんでした。
母乳がよく出るようになっていたので、おっぱいから飲めると思っていたので、おっぱいを飲むのも難しいんだなと思いました。
哺乳瓶の乳首は出やすく、おっぱいは吸うのに力とコツが必要なようです。

私とももの授乳は

 1. おっぱいから飲む練習
 2. 搾乳したものを哺乳瓶で飲ませる
 3. 搾乳

というサイクルを繰り返しました。
ミルクも足しました。
私が大学病院に入院中は、母乳100%で、退院後、一緒にいるようになって混合って、おかしいなとおもいました。
哺乳瓶に使用した乳首も、ミルクの出にくい吸うのに力の要るものを使用し、ももに頑張らせました。
生後1ヶ月になるころ、ももはおっぱいから母乳が飲めるようになり、搾乳とミルクは不要になりました。
母乳が出ていたから、頑張れたんだと思います。

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妊婦の救急搬送の経験(16) [妊婦の救急搬送の経験]

クリニックでは、花束を用意して、院長、看護師さん達が暖かく迎えてくれました。
やっと、娘に会えたとき、自然と涙が出ました。

小さな娘をこわごわと抱きました。
新生児を抱っこしたのは、はじめてでした。

「ももちゃん、100% 母乳で大きくなったのよ」

2週間、私が育てたのではないけど、私の母乳で育っていたのは、うれしかったです。

娘のことを、看護師さんたちは、たくさん抱っこをして、世話をしてくださったそうです。
とっても、よく泣く赤ちゃんだったそうです。

「ももちゃんは、ママが一緒にいないから、特別いっぱい抱っこしたのよ」

と、ほんとにかわいがって、お世話をして頂いたようです。

・・・新生児のももも、ママがいなくて寂しかったようです。
よく泣く赤ちゃんだったと書きましたが、私が会ったのは、よく寝て、あまり泣かない赤ちゃんでした。
看護師さんはこういいました。

「ママが来て、安心したんだわ」
「いっぱい抱っこして、かわいがってたのに、やっぱりママがいいのね」

「私がママって、わかるんですか?」

「もちろん、わかってるわよ」

ももが私をママと認めてくれたようで、とっても、うれしかったです。

そして、・・・まだ、つづくのです。

妊婦の救急搬送の経験(17)へつづく

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妊婦の救急搬送の経験(15) [妊婦の救急搬送の経験]

結論として、私は2回目のカテーテル検査に同意しませんでした。

・ 娘に会いたくて、精神的に限界だったこと

・ 検査後、絶対安静を強いられるキツイ検査だったこと(みなさん、2度とやりたくないという検査です)

・ リスクが伴う検査であること
  父の友人が回復期のこの検査の医療ミスで死亡し、父が強く反対しました。
  (カテーテルで血管を貫いてしまい、脳内出血で死に至りました)

・・・等の理由でした。
私が同意書にサインをしなければ、検査はできません。
検査を受けないリスクを医師から説明され、納得し、出産したクリニックへ転院することになりました。
治療は外来で、投薬、MRI、血液検査、脳波検査を行いながらとういうことになりました。
1年後ぐらいに、再度、入院してカテーテル検査をするというはなしもでました。

大学病院の退院の日は楽しみで、化粧したりして、主人のお迎えを待っていました。
洋服はマタニティを持ってきた主人に、もう、ふつうの服を着れるからとタイトスカートを持ってきてもらいました。
はじめて会う娘に、なるべくきれいにして、会いたかったです。

・・・つづく

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